証人の証言は無視、行政側の主張を全面的に受け入れて責任はたらい回し。設計ミスから発生する水害の責任は誰がとるのか?
前回の記事では、山形県上山市川口にある清掃工場の造成工事の裁判が全面的に棄却されたことを速報としてお伝えしました。
今回は、その判決文を公開いたします。判決には納得がいきませんが、読むとさまざまな疑念がさらにわいてくる内容といえます。
判決文は長文で、いろいろな読み方ができると思いますが、おおまかに、私たちにとって大きなポイントをまとめました。*
1.双方の証人の証言がほとんど反映されない謎
専門家が指摘していて、設計者自身が誤りを認めていて、かつ重要な争点となっているであろう部分がいくつかあります。(詳しくは前回の記事をご覧下さい。)
しかし、判決ではこの部分には一切触れず、全面的に組合側の主張を採用しています。 これは、「河川の専門家と、河川に関する資格を有さない上に河川の経験がほぼ無い設計者自身が誤りを認めている計画が全面的に正しい」という意味です。つまり、「河川に関する理解を根本的に誤った」内容です。
結審時には双方の証人の証言が組合の主張とは正反対となる構図でしたが、設計者が自身の設計の計算ミスを認めても、組合側はあくまでもその当初の計算を「正しい」と主張しており、その主張を裁判所が受け入れたかたちですので、証言は証拠のあくまでも一つに過ぎない扱いであったのかもしれません。
ただし、証言によって現場レベルの判断は一致していますので、それを不適と判断するのであれば判決でも相応の理由が必要ではないでしょうか。(しかしこれについても判決では触れられません)
2.「組合の当初の雨水排水量の計算は正しい」との、裁判所の判断は実際どういう意味か
前項に関連して、特に重要とみられる「造成地の側を流れる川(ダム放水路「忠川」・一級河川「前川」)に対して、造成地からの排水が負荷をかけているかどうかを判断するための、雨水排水量の試算」を例にみてみます。
(この計算の結果が、ある基準の数値を超えたかどうかで、河川に影響があるかどうかをこの裁判では判断しました。)
「組合の当初の雨水排水量の計算は正しい」ことを認めたということは、同時にこの計算に使用した次の点を認めたことになります。(わかりやすく説明するため今回は内容を大幅に割愛しております。詳しくは判決文をご覧下さい。)
- ダム放水路(忠川)の計画高水流量が170㎥/sで、その先の忠川と前川の合流点の計画高水流量は150㎥/s。
- ダム放水路に造成地からの排水があってもよい。
- 水田に貯水機能はない。
- 工事前の造成地からの排水量の計算を、当時存在していない造成工事後の排水設備を使用して計算することは正しい。
- 降雨強度確率年は道路土工要綱に基づく10年確率でよい。
- 排水量の計算はハイドログラフではなく合理式が適切。
- 造成工事の土地から忠川への排出される雨水の集水域は32.5haだが、開発範囲は5haなので流量調整池設置は不要。
少し補足しますと、これらは専門家が誤りを指摘していた箇所で、またその多くを設計者自身が誤りを認めていた箇所です。つまり、計算の条件の大部分が間違っていたということです。
(さらには、組合側からは誤りを認めた設計者の報告書以外に具体的な証拠の提出はほぼなく、実質的に有効な証拠のない主張ですので、論理的なルールから考えればこれらの主張が採用される理由はないはずですが・・)
1について:
合流先の川の計画高水流量が合流前よりも少ないことが正しいと述べています。そして、ダム放水路に170㎥/sもの計画高水流量があるのが正しいとも述べています。
この根拠となる県などの資料を比較すると忠川の計画高水流量ついて「0」、「0㎥/s」と「170㎥/s」の複数の記載が見られ、どれが正しいか、どのような意味か、が争点になっていました。(山形県はこの数値について曖昧な回答をしました)
2について:
通常、ダム放水路にはいかなる排水があってもいけませんが(山形県が許可しているので)排水してもよいと述べています。
4について:
素人的にもおかしいとおもえますが、(そして、計算の結果に大きな影響がありますが)大きな問題はないとのことです。
5・6について:
この工事の基準が道路土工要綱であることに問題はないので、通常河川で使用されるハイドログラフではなく、合理式での算出が適切とのことです。(道路土工要綱にはハイドログラフについての記載がない)
そして、河川では通常40年確率で考えますが、この要項に基づく10年確率降雨量でよいとのことです。
地裁後に新たに争われたはずのテーマが、高裁では反映されない判決となったため、関係者にすれば疑問しかありません。
3.論理的でも合理的でもない判決内容はパッチワークの印象。本当に検討はおこなわれたのか?
判決文はさまざな法律などを引用し、その内容に問題を照らし合わせて、裁判所はこう判断するという一見、論理的にみえる構成です。
ところが、肝心の判断の部分になるとその多くが急に曖昧な表現になります。たとえば次の表現です。
「・・・著しく不合理なものであると客観的に明白であることを基礎付けるに足りる証拠もない・・・」(17P)
かなり回りくどい言いまわしです。何をどういう基準で判断したのかよくわかりません。
「著しい」、「不合理」、「客観的」、「明白」や「基礎付け」などは個人の主観による部分が多いため、一文にこれだけ曖昧な表現がはいるといくらでも解釈ができてしまいますし、これを十分に満たす証拠はそうないでしょう。
判決文がおおよそこのような表現で判断されていること、さらには内容を理解しているとは思えない判断が多いので、本当に検討しているのか疑問に思えてきます。
こうした疑問に拍車をかけるのが、文章の展開の雑さです。各争点の結論を導くための説明すら要約されておらず(と私たちは思いますが)、ごく一部の内容の説明が急に詳しく「ぽっ」ときて、さらにそこに既に述べたような曖昧な判断の理由がきますから、予め決められた棄却の結論のために文面をパッチワークしたような印象がぬぐいきれません。
4.責任のたらい回し、そのつけは何も知らない近隣住民へ・・・
判決文での判断が、曖昧でその理由がわからないことは前項でご説明したとおりです。
この姿勢は責任をあたかも回避しているようにも思いますが、文中にはこれ以外にも、例えば「山形県が設置を許可しているため・・・」のような責任の所在は他にあるという説明が見られます。(これ自体は「行政の仕組み」という点では理解できます。)
守る会がおこなっている他の裁判などを通しても実感することですが、これは行政側の責任のたらい回しと言えると思います。
実際に県やあるいは組合の責任を追及しようとしても、訴える頃には担当者が配置換えでいなくなっており(また訴えるまでにもさまざまなプロセスが必要で時間と手間がかかります)、以前に遡って訴えることができるのかどうかについてさえも(仕組み上は)普通ではないため更なる手続きが必要で、実際には誰も責任をとらない仕組みになっています。
また、今回のように複数の行政の機関がかかわる場合では、権限も複雑に分散しており、責任の所在(らしい箇所)をつきとめるまでにも非常に時間がかかる仕組みにもなっています。
この裁判では、専門家、また設計者自身が排水の設計に問題があることを裁判の期間中に認めており、組合の裁判以前に行われた計算が実際からかけ離れていることは明かで(裁判官・弁護士は法律のプロではあっても、河川のプロではありません)、判決がこの計算を正しいと認めたところで、下流域の水害被害の拡大の可能性は現実的な問題といえます。
仮に災害が起きた場合、この計画により水害の被害が拡大したことを、特に裁判で証明することは極めて難しいので、実質的にこのミスの責任は下流域の住民が知らない間に「実際の被害」としてかぶることになってしまうのです・・・
これは大変問題がありますので、守る会としては今後も他の対応を検討し、引き続き問題としていく所存です。
平成29年(行コ)第28号 上山市清掃工場用地造成工事公金支出差止請求住民訴訟控訴事件 判決文
※「禁無断転載」
※ Web公開用に一部編集を行っています。
*複雑な内容のため理解の仕方が誤っているかもしれませんので、その際はどうぞご容赦ください。