上山市清掃工場建設予定地周辺風景 (9) 果樹地帯
齋藤茂吉の故郷「金瓶」より東の山へ進むと、見事な果樹地帯が広がっています。このあたりはかつて原野でしたが、江戸時代に開墾された土地です。その果樹畑の中を歩くと、一つの石碑に出会います。
これは、今から約二百数十年前にこの地で起こった百姓一揆のために建立された石碑です。初代県令三島通庸は、東北の一揆を鎮める為に山形県へ赴任したとも言われています。
蔵王連峰を仰ぎながら林檎や、ラ・フランス果樹畑の中をゆっくりと歩きます。
ひっそりと佇む石碑があります。
圧政に耐えかねた農民が一揆を起こし、断罪された歴史。
見目原百姓一揆集結之地
今から約二百三十年前、延享四年五月一七日、連年の凶作と藩役人の悪政に堪え切れず、上山領内五ヵ村の農民三千余名、この地に集結。鋤、鎌、莚、旗を持ち、城役所へ窮状を直訴せんとした。時の藩(以下不明)外鎮撫のためこの地に付け、その尽力により十(不明)部、受け入れられ、流血を見ず平穏に解散した。後(不明)牧野村太郎右衛門父子、上関根村惣右衛門ら断罪処刑された。今に伝わる見目原(みるめがはら)騒動の経緯である。
この地見目原は広漠たる原野であったが、近年に至り開拓(不明)昔を偲ぶ面影が変貌しつつあるので、慈に有志相謀りこの碑を建立した。なおこの前の道路は、山形県令三島通庸の時、見目原開墾事業の開拓道路である。
「見目原百姓一揆集結之地」との文字が読み取れます。
今は、静かな果樹地帯となっています。