英国人旅行家・イザベラ・バードと上山市
最近、徐々に知られるようになってきた英国人旅行家イザベラ・バード
明治11年6月、英国人旅行家イザベラ・バードは横浜を出発し、 一人の通訳を共に馬の背に揺られて蝦夷を目指しました。女性がみ ちのくを旅したのは初めてと言われています。その道々バードは、 目にしたことを手紙にしたため、イギリスに居る妹宛に送り続けま した。バード帰国後、この手紙が一冊の本になり「日本奥地紀行」 として知られています。これは文明開化当時の日本を物語る、非常 に興味深いものです。
バードは太平洋側を通らず、敢えて新潟県に入り、険しい峠を越 えて山形県に入りました。その厳しい峠越えの後、バードの目の前 に広がったのが、置賜平野です。この感動をバードは次のように伝 えています。さらにそこから上山に入り、川口に竣工したばかりの 堅磐橋を渡って、かみのやまの温泉宿について描いています。
イザベラ・バード「日本奥地紀行」(明治11年)より
◆米沢盆地の景観 明治11年7月13日ー「アルカディア」
たいそう暑かったが快い夏の日であった。会津の雪の連峰も、日光に輝いていると冷たくは見えなかった。米沢平野は、南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉街の赤湯があり、まったくエデンの園である。「鋤で耕したというより鉛筆で描いたように」美しい。米、綿、とうもろこし、煙草、麻、藍、 大豆、茄子、くるみ、水瓜、きゅうり、柿、杏、ざくろを豊富に栽培している。 実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカデヤ(桃源郷)である。自力で栄えるこの豊沃な大地は、すべてそれを耕作している人々の所有しているところ のものである。彼らは、葡萄、いちじく、ざくろの木の下に住み、圧迫のない自由な暮らしをしている。これは、圧政に苦しむアジアでは珍しい現象である。そ れでもやはり大黒が主神となっており、物質的利益が彼らの唯一の願いの対象となっている。美しさ、勤勉、安楽さに満ちた魅力的な地域である。山に囲まれ、 明るく輝く松川に灌漑されている。どこを見わたしても豊かで美しい農村であ る。・・・・・・・
◆上ノ山温泉の魅力
私はここ(上山)へやってきたのである。ここはそこ(赤湯)から10マイル離 れたところで、りっぱな新道を通って、興味ない水田と低い丘のある広い谷間を登ってくる。すると砂利の多い高い丘に囲まれた小さな平野が眼前に開けてくる。その丘の傾斜地に上ノ山の町が心地よく横たわっている。人口3,000を越す温泉場である。今はお祭りの最中で、どの家にも提燈や旗が出してある。群衆は 神社の境内にあふれている。神社のいくつかは丘の上にある。上ノ山は清潔で空気がからりとしたところである。美しい宿屋が高いところにあり、楽しげな家々には庭園があり、丘を越える散歩道がたくさんある。ここは日本でもっとも空気 がからりとしたいるところの一つだといわれる。もしここが外国人の容易に来ら れる場所であったら、美しい景色を味わいながら各方面にここから遠足もできる から、彼らにとって健康的な保養地となるであろう。
これは大きな宿屋で客が満員である。宿の女主人は丸ぽちゃのかわいい好感をいだかせる未亡人で、丘をさらに登ったところに湯治客のための実にりっぱな ホテルをもっている。彼女には11人の子どもがいる。その中の2、3人は背が高くきれいで、やさしい娘たちである。私が口に出して誉めると、一人は顔を赤く染 めたが、まんざらでもないようで、私を丘の上に案内し、神社や浴場や、この実 に魅力的な土地の宿屋をいくつか見せてくれた。私は彼女の優美さと気転のきく のにはまったく感心する。どれほど長いあいだ宿屋を経営しているのかと未亡人にたずねたら、彼女は誇らしげに「三百年間です」と答えた。職業を世襲する日本では珍しくないことである。・・・・・・・
<イザベラ・バード著 高梨健吉訳 平凡社ライブラリーより抜粋>
イザベラ・バードも渡った堅磐橋とその周囲の風景
ちょうどテレビでも彼女の特集があり、足跡が紹介されていました